√ねずみ ブリーフメンに祝福を

「ねえ大槻さん、もし覆面ブリーフの男が屋根から屋根へと跳び回っていたら面白いと思わない?」
「藤町さん、あなたの言うことはいつも訳が分からないね。」
目の前にいる私の友人、大槻は目の前のプリントつまり宿題から目を離さずそう答える。
現在時刻午後4時30分。私と大槻は大量に出された冬休みの宿題を早めに終わらせるため、近所の図書館に制服のまま来ている。
周りには珍しく誰もいなくて、私の台詞と大槻がシャーペンを動かす以外の音は無い。
「訳が分からないから面白いんじゃない。警察の目を盗んでこの寒空の下覆面ブリーフ、他全裸で屋根から屋根へと跳び移る。そんな男が居たら面白いでしょ。」
「藤町さん、みょうちきりんな事言ってないで宿題しなよ。」
「今は気分じゃないの。」
「君は何のためにここにいるの?」
彼女は顔を上げ、呆れ顔を形作る。こういう返答しかくれないが、彼女は私の話を一応でも聞いてくれる貴重な友人だ。
ふと窓の外に目をやると、もう陽は沈みかけて、空の色は赤から紫、紫から濃紺へと変わりゆく途中だった。
「あーあ、朝目が覚めたらブリーフメンが白馬に載って私を迎えに来てくれたらいいのに!」
「随分パンクな王子様だね。」
結局、その日で宿題は終わらなかった。

12月26日、冬休み1日目。
目が覚めても私はドレスでなくパジャマのままで、ブリーフメンは迎えに来てくれなかった。
かくも厳しき現実に千回くらい目の失望を抱きつつ、暇なので近所のカードショップに行く事にしたのだった。なぜならそのカードショップには、ブリーフメン程じゃないが面白い人がいるからである。
「私はBF-星影のノートゥングでダイレクトアタック!はい終わり―」
「ギャーッ負けたーッ!こいつ高校生の癖に小学生にも容赦ねェーッ!」
「ははん、ガキだからって舐めてかかりはしないよ。何故ならノゾミちゃんは清く正しい決闘者だからね!」
「鬼!悪魔!ノゾミ!」
「あんまりうるさいと正真正銘のダイレクトアタックするぞ!」
やっぱりいた。この大人げない高校生の名前はノゾミといって、まあ、とどのつまりはとてつもなくバカな人だ。
「やってますねノゾミさん。」
「おや、君は、えーと」
「藤町ですよ。忘れたんですか、酷いなあ。」
「悪いんだけど、私の脳みそは友人とカードの名前しか覚えられない仕様になってるんだ。」
ぎゃんぎゃん喚く小学生の頭を押さえつけながら、彼女はそう言い切った。
「で、何しに来たんだ藤町は。君カードゲームやるタイプじゃないでしょ。」
「ノゾミさんを見に来たんですよ。あなたは見てて飽きないからね。」
「そんなに褒められると照れちゃうなあ。」
「まるで動物園の猿を見ているようで」
「殴るぞ」
ノゾミさんとは変人である。高校生にもなってカードゲームをやってる事からも分かるように、ガキなのである。そして自身がガキという事を誇らしく思ってる程変人なのである。変人なので勿論友達もいない。友達がいないのでここで小学生を苛めている。
「失敬な。私の友達は事故って入院しただけですー」
「じゃあお見舞いにでも行ったらどうですか?」
「入院したまま死んじゃったんだよ。世の中は儚いね。君も今を精一杯生きなよ。」
「はあ。」
ノゾミさんの言う事を信用してはいけない。何故なら彼女の頭のネジは1本どころか5、6本は確実にトんでいるからである。
「ところで藤町、知ってるかい」
「知ってます」
「最近覆面ブリーフの男が屋根から屋根へと跳び回ってるという噂。紛う事なき変態の噂を、君は知ってるかい?」
「それ誰から聞いたんです」
聞き覚えのある単語だ。覆面ブリーフの男、それは私が昨日大槻に話したろくでもない空想話であって、この高校生から噂話として聞かされるものではない。
大槻は、今まで私が話した空想話を余所で話した事は一度も無い。生真面目なのだ、今更生きづらいくらいに。だから彼女からこの話が漏れたとは考えづらい。
「私も野田くんから聞いただけなんだけどさ、奴が言うには『屋上に不法侵入して焼きそばパンを咥えながらサボってたら凄まじい身体能力で屋根から屋根へと飛び移る覆面ブリーフの男を見た』って。私も最初は大村くんの妄想だと思ったんだけど、クラスの中で私も見た、僕も見た、俺も俺もなんてちょっとした騒ぎになっちゃったんだよね。霧島くんはドヤ顔してたねあーうざいうざい」
「待ってください、野田くんとか大村くんとか霧島くんとか登場人物が多すぎて覚えられないんですけど」
「全部同一人物だよ。名前覚えてないだけで。」
ノゾミという女は、こういう奴なのだ。

12月27日、冬休み2日目。
私は、昨日ノゾミさんが言った言葉をどうしても忘れられなかった。
『覆面ブリーフの男が屋根から屋根へと跳び回っている。』
一昨日の私の戯言とまったく一致した噂が出回っている。私だってもう中学生だ。別にその噂を真実だと思っているのではない。
けれど、もしも本当だったら。そんな阿呆らしい願望が理性の下から囁きかけてくるのだ。どうせくだらない結末が待っていると知っても、失望するだけだと分かっていても、なおそれを知りたいと。
そして本当であったらいいと。そう願ってしまうのだ。
「という訳で、噂の真偽を確かめに行くよ大槻さん。」
「藤町さん、あたしまだ書初め終わってないのだけど。」
「雑魚め、冬休み初日で終わらせないとは何事か。」
「イラっとくるわ!そういう藤町さんの宿題の進捗はどうなのよ。」
「残り167/168くらいかな……」
「全然終わってないじゃん!」
ところで、確かめると言ってもどうすればいいのだろう。もしそれが真実だとしたらいいが、嘘だとしてもそれを確かめる術はない。神様でも無い限り、無いものを無いと証明することは不可能なのである。
「フッ、これこそが悪魔の証明……」
「かっこいい事を言って哲学者気分に浸ってるんじゃないよ。ブリーフメンは屋根にいるんでしょ、だったら高い所に行こうよ。」
「高い所たってどこに行けばいいのさ。学校に不法侵入でもするの?」
「大槻家の屋上を貸してあげよう。ついてきな。」
持つべきものは生真面目な友である。

「それで、この最高気温6度の寒空の下、私たちはブリーフメンが出現するまで延々待たなきゃならないんだね。」
「文句を言わない。あなたが言い出したんでしょう、ブリーフメンの真偽を確かめるって。」
「私は張り込みより足を動かす方がいいね。」
「地面を這い蹲っても無駄です、何故ならあたし達の探し物はもっと上にいるから。はい、温かいアプリコットティーだよ。」
「またシャレオツなものを」
大槻がくれたアプリコットティーから、白い影がゆらゆらと揺れている。その隙間から何か見えるんじゃないかと思って目を凝らしてみた。けど見えるのは冬の澄んだ空気と、ろくに手入れもしてないだろう汚い屋根だけだ。
「ノゾミさんの言う事を信用したのがいけなかったのかなあ。」
「何諦めモードになってるの、まだまだ張り込みは始まったばかりだよ。」
「あんたってほんと、生真面目というか愚直というか……」
紅茶から甘い香りが漂ってくる。まだ熱いそれを、舌先で確かめる様にちろ、と舐めてみる。
「……あっま!ちょっと待って、あんたこれどんだけ砂糖入れたの?」
「角砂糖六つ。」
「馬鹿じゃないの?そんなに入れたら体に悪いよ。」
「あたしは真面目だからね。それだけに脳みそを沢山使うし、甘いものもいっぱい必要になるの。」
「生真面目な馬鹿っていうのはあんたみたいな奴の事を言うのよ。」
「馬鹿じゃないもん!」
頬を膨らませて憤る大槻を横目に、立ち上がって遠くを眺めてみる。
最高気温6度の空は、動く度ぱきぱきと薄い硝子が割れるような、鋭い冷たさで私を包む。
どんなに目を凝らしたって、こんな日に覆面ブリーフで屋上を駆けまわる変態は見当たらない。そんなものなのだろうか。
「時に藤町さん、ブリーフメンを見つけてどうするつもりなの?」
甘ったるいアプリコットティーを飲んでいる大槻が問う。
「どうするかって……そういえば考えてなかったなあ。」
「言うと思ったよ。藤町さんはそういう奴だ。」
「どういう意味よ。」
「深い意味は無いよ。ただ、藤町さんは非常識が好きで、面白いことが好きで、『ふつう』ではないなあって。」
「角砂糖六つ入れた紅茶をグイグイ飲む奴の方がよっぽど普通じゃないわよ。」
「違うんだ。確かに普通ではないかもしれないけど、『ふつう』の範疇ではあるの。あたしは藤町さんが言わないとブリーフメンを追いかけたりしないし、あなたみたいに目的も意味も無い行動は出来ない。これに付き合ってるのは、あたしがあなたの友達だからだよ。」
「目的も意味も無いなんて、どうして言えるの。」
「言い方が悪かったね。あなたは、世間的に全く意味が無い事を為そうとしてる。そしてその先に何も無い事も知ってる。でも、藤町さんはそれを為そうとしているんだ。それがあたしには――目的も、意味も無い行動に見えるの。」
この大槻という少女は、私の事を全て知った風に話す。まるで、自分こそが私の理解者であると言うように。
反論は出来なかった。だから、視線を逸らして、遠く遠くのブリーフメンを探してみる。
「大槻さん、もしもブリーフメンがいたら、どうしようか。」
「それは藤町さんが決める事だよ。あたしは『ふつう』だから。」
彼女のアプリコットティーは空っぽだった。
私のは、まだ白い煙を揺らめかせながら、砂糖の香りを漂わせていた。

日が傾いてきて、空がだんだんオレンジ色に染まってきてもブリーフメンは一向に現れない。
やはりあのノゾミとかいう女、嘘を吐いたのではなかろうか。
「あーあ、寒い寒い。やっぱりブリーフメンなんて私の妄想だったのかなあ。」
「まあ、ノゾミさんの言う事だしね……」
体はすっかり冷え切っていて、指先なんて氷みたいに冷たくなっている。
太陽が沈みゆくにつれ、気温も下がっている。何時ごろに帰ろうかな、なんて考え始めて、私はふと黒い影が屋上から屋上へと移動してることに気が付いた。
鳥と言うには大きく、あまりにも変態的なその姿。
ひょろひょろの体に覆面ブリーフだけを身に纏い、超人的な身体能力で屋上を駆け回って、また別の屋上へ移動する。その変態的な容貌は傾いた日の光を受けながら橙色に輝いていた。
ブリーフメンがそこにいた。
私は目をまん丸くして、呆然とその姿を見ていた。
一体、その細く筋肉など欠片も無さそうな足のどこにそんな跳躍力があるのか。何故この寒空の下覆面ブリーフ、他には何も身に着けないでで駆け回ってるのか。
常識も物理法則も超越したヤツが、変態が、そこにいた。
「――さん!藤町さん!」
大槻が私の体を揺らすのにも気づかず、ただただその姿を見ていた。
やがてブリーフメンは小さな黒い点になって、赤い屋根から四角い屋上へと飛び移るのを最後に、見えなくなった。
「本当にいた」
「そうだよ!本当にいたんだよ藤町さん!ブリーフメンは、今、ここに!」
そう、白ブリーフの覆面をつけ、屋根から屋根へと跳び回る男は。
今、ここに実在したのだ。

12月28日、冬休み3日目。
朝、母がバラエティ番組の録画を見ていた。
賑やかに振る舞う液晶の中で、見目麗しい女優やアイドル、汚れ役を買って出ている不細工なお笑い芸人がげらげらとわざとらしい程楽しそうに笑っている。
巷で人気のイケメン俳優がバラエティ番組でドラマの宣伝をして、それを太ったコメディアンが茶化す。見飽きたいつもの光景だ。
「ねえねえ、このドラマの収録この町でやってるそうよ。」
「ふうん。」
都会とも田舎とも言えないこの町では、ドラマの収録なんて早々なく珍しい事だ。
けれど、そんな世界中のどこにでもあるような事より、私はもっと面白いことを知っている。
昨日大槻家の屋上で見た白ブリーフマスクの男。
「楽しみよねえ、せっかくだし会えたりしないかしら。」
母の言葉は右耳から左耳へと通り抜けていくようだった。
脳裏に焼き付いた変態は、私の心をそれ程までに虜にしていた。

昼、特に意味もなく公園で肉まんに齧り付きながら昨日の事を考えていた。
こんなに非常識な事があってもいいのか。いいのだ。何故なら実在してるから。
この退屈で腐りきった世界に、一陣の風が通り抜ける。それこそが私の求めたもの、ブリーフメン。世間の目をものともせず駆け抜けるその姿に、私は恋をしたと言ってもいいだろう。
もう一度だけ、彼に会えるのなら。
そんな都合のいい事はないと自分に言い聞かせるが、心の底から溢れ出す期待は止めようがない。地を這ってでも無駄だ、という大槻の言葉が蘇る。
空を飛べる羽なんて私にはついていない。あるのは重力と常識に囚われた二本の足だけだ。ただの人間である私にはブリーフメンのような身体能力は無い。
ジャングルジムに登って、申し訳程度の高い空気を吸ってみる。吸って、吐くと、白い息が出てきた。今日の最高気温は4度だ。
公園の中にある一番高い所、それが今私のいるところだ。それは、昔の私にとって世界の頂点だった。
ここからならある程度遠くまで見渡す事が出来るし、下にいる子供達を見下ろせた。
あの頃は自分はお姫様にも、ヒーローにでも何にでもなれると思っていた。いつかは私という存在を捨て、私の望む私になるのだと。
でも、今の私はこの場所が世界の頂点で無い事を知っている。ついでに、所詮私が地を這う虫でしかない事も。
「生まれてきた人には全て意味がある」そう教えてくれたのは母だっただろうか、先生だっただろうか、それとも本だっただろうか。
世界の頂点に座っていた私は、その言葉を受け止めて、嬉しい事だと思っていた。私には私たる意味があるのだと。
あるさ、意味ならある。私が生まれてきた意味ならあるよ。
でもね、それがなんだっていうんだよ。私が生まれてきた意味。何も出来やしない一般人で、ちょっと変な電波が入った私の意味。
それは人類を生かす為という、とてつもなく壮大で、とてつもなくくだらない、人類意思。
「人類」という形無き生物の七十億個の細胞の内の一つ、それが私という存在。
恋をするのも、死にたくないと思うのも、生きたいと思うのも、希望を抱くのも、全部全部「人類」を生かすため。
変な電波が入ってるが故に人と同じ行動をとる事は少ないし、新たな変人(スペア)を生む器官にもなる。それが藤町はふり。私の生まれてきた意味。
人類皆平等に意味がある。私は人である以上、この枠から抜け出せない。「藤町はふり」と名の付いた器官は今もどくどくと血を流して、生きて、「人類」の為に活動を続けている。

私は、私以外の何かになれるどころか、
私ですらなかったのだ。

「!」
見つけた。屋根の上、駆け回るブリーフメン。彼はまた私の前に現れてくれたのだ。
見失う訳にはいかない。もしもこの形の無い意思によって閉じられた世界から脱出する為の鍵を渡してくれるとしたら、それは世間を超えて世界に立った彼しかいないのだ。
私は走った。覆面ブリーフの男を追いかけて、息を切らしながら走った。
彼は屋根の上を走っている。明らかにカルシウムの足りてなさそうな体で走っている。私も走っている。部活とかには入っていなかった為、特に体力があるわけでもない。肺が目一杯の酸素を求めている。足が休息を訴えて悲鳴を上げている。
それでも走った。もし追いつけたなら、私は私になれると信じて。

「君もしつこいね。ストーカーか何か?」
「ストーカーでも何でもいいよ。こんにちはブリーフメン。」
目の前には少女が立っている。息を切らし、顔面は汗だくになって、黒い髪が頬に張り付いている。
「そんなに必死になってまで僕を追いかけて、何がしたいの?君の望むものなんて持ってないよ、多分。」
「じゃあ答えて。あなたは、貴方は誰?」
「僕に名前は無い。ただの自由人だ。」
「それが私の求めていた答えだ」
「君さ、会話を成立させる気ってある?」
「知らないわよ、管轄外です。もう一つ、聞きたいことがあるの。」
彼女の瞳はしっかりと僕を見据えていた。彼女の瞳の奥に青空が見える。どこまでも高く、何処までも透明で、果てが無い。それは彼女の求めていたもの。そして僕が求めたもの。
昔の事なんてすっかり忘れてしまった。時の感覚なんてさっぱりない。最初に僕がどこにいたのかも、そもそも僕は存在するのかも分からない。
それでも、僕は僕だ。
「きっと、君の求める答えは何もかもを捨てなければ辿りつけないよ。」
「いいの。教えてブリーフメン。私が、藤町はふりが私になるには。」
「私の為の私になる方法を、教えて。」
世界の扉を厳重に守っていた鎖が崩れ落ちる。鍵は開かれ、外の世界の前に彼女は立っていた。
一歩踏み出す。それは、自分の生まれてきた意味を捨てる事。自分を必要としてくれた存在を置いていく事。

さよなら皆。私は、「私」になります。

親愛なる藤町さんへ
こんにちは。こうしてあなたにお手紙を書くのは初めてですね。ずっとあなたに直接あってお話をしていたから。
こちらはもう桜が咲いて、中学校の卒業式も終えました。藤町さんはどうしていますか?
もう、あなたが行方不明になってから一年以上経ったことになります。あなたのいない世界は退屈で、平凡です。
最後に会ったのはブリーフメンを探しに屋上へ登った時だったでしょうか。角砂糖を六つ入れたアプリコットティーを飲むたびに、あの日の事を思い出します。最高気温6度の空の下であなたと会話した日を。
私は、「ふつう」じゃないあなたが好きでした。「ふつう」じゃない事に憧れて、「ふつう」じゃなくなっていくあなたが好きでした。だから、私もそうなりたいと望みました。
けど、私がなりたかったのは「ふつう」じゃない事ではなく、あなた自身だったのです。だから、私はきっとあなたみたいにはなれません。あなたとは、目指す目標が違いすぎた。
でもね、私もあなたの影響を受けて幾分か「ふつう」じゃなくなってしまったようです。ノゾミさんに話したら「やーいロマンチスト」と馬鹿にされました。ファッキンシット。
私も一か月後には高校生になる身分です。いつまでロマンチストでいられるでしょうか。出来ることなら、ロマンチストはやめたくないです。
クラスメイトは、藤町さんはとうに死んでいると思っています。誘拐か何かされて、今は山の中。もしくは海の底なのだと。
でも私はそうは思いません。あなたなら、今も世界のどこかで生きていると思うのです。
この手紙に住所は書きません。書けません。だから、紙飛行機にして飛ばそうと思います。そしたらあなたに届く気がするのです。ロマンチックでしょ?
あなたは私にとって、ずっと一分の一でした。世界にとって七十億分の一であったときから、藤町さんは藤町さんだけでした。
世界にとっても一分の一となってしまった今、そのことにほんの少し寂しさを感じます。
もしこのお手紙が届いても返事はいりません。代わりに、覚えていてください。
いつかロマンチストを極めて会いに行きます。だから、私を覚えていてください。あなたの、ただ一人の本当のお友達を。
あなたの友達の大槻穂垂より

「それで、その最後の言葉は呪いのつもり?」
鋼鉄の代わりに紙の翼を持った飛行機は飛んで行った。ひゅう、と風に乗ってどんどん飛んでいく。そう、どこまでも飛んで行って。どこまでもどこまでも、世界の果てまで。
「そのつもりなんですけどね……ノゾミさんは効くと思います?」
「効かないんじゃないの、祝っていうくらいだし」
「ですよねえ」
彼女は、私の好きな彼女のまま私を置いて行ってしまった。私の好きな彼女だから私を置いて行ってしまった。
だから私は呪いをかけたのだ。悔し紛れの、負け犬の遠吠え。彼女の本当のお友達が私だけであるように、そんな呪い。
「呪いって言うくらいならもっとパンクにならなきゃ。喧嘩した日に事故って入院した挙句そのまま死ぬのはかなり効くぞ。」
「きつい呪いですね。羨ましい。」
「羨ましいもんか、やられる側の身になって考えてもみなよ。たまったもんじゃないさ。」
「私も、藤町さんにそのくらいの傷を残したかった。」
「素直に友人の幸福を祝いなよ。今の君に必要なのは呪いじゃなくて祝う事だ。」
「そうかもしれない、そうかもしれないけど……」
君に会いたくなった私の亡霊は、無事に君へと辿り着くだろうか。いいや、亡霊でさえ辿り着きはしない。
一緒にいる間は全然気づかなかった。君は、こんなにも遠い存在だった。
「それでも、いつか会えるって思いたいんです。私が、このままロマンチストを極めて、頭の中の世界の果てに辿り着けば、そこで藤町さんが待っている。」
「叶うよ。それを望んで、願って、希って、冀い続ければ。」
「だから今は祝福しよう。ブリーフメンとなってしまった君の友達を。望みを叶えた君の友達を。」

屋上に、白いワンピースの少女が立っている。晴れた日の空に浮かぶ雲のように白いワンピースを翻し、少女とは思えぬ脚力で屋上から屋上へと、ふわり駆ける。
その少女に名は無く、ただ存在が在るのみ。その存在意義はただ彼女の為だけに有り、他の誰の干渉も受けない。

「どこに行こうか?」
「どこにだって行けるさ。」
「空が青いから。」
「世界は広いから。」
「私は私なんだから。」
「どこまでも行けるよ。」

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