√ねずみ 黄昏から夜明けまで

「しまった。」
「どうしたんだよ姉さ……うわっなにこのドロドロ!」
「その声は我が弟エドワード・ヴァンパイアですね。これは……ちょっと、魔術実験に失敗しちゃいまして。」
「ま、まじかー……」
「ああ、やはり私が碧眼だからダメなのでしょうか。そんな……私だって生きているのに!何故!何故なの!ウオオオーーー、死ね赤目!!!!!!!!」
「ウワーーーッ、鎌を振り回さないでってああードロドロが逃げていく!ヒエッ、姉さんは落ち着けもちつけギャアアアーーーーー!!!!!」




私の幸せは、暖かい部屋で暖かいご飯を食べて、
お父さんとお母さんと食卓を囲みながらテレビを見て、
話して、笑って、それで明日はまたがんばろ、とか。
そのくらいで良かったのになあ。

等というのは同情を誘う言い訳に過ぎない。

だって同情の一つでもしてもらわないと惨め過ぎるじゃない。私はこんなに可哀想なんだよ、って言って、周りのお涙を頂戴して、そうしてほくそ笑むのだ。歪んだ自己承認と、悲劇のお姫様みたいな特別感を味わって、心の底は嬉しがってる。誰だってやってるから別にいいんだ。
そんな事を考えながら私はぼうっと空を眺めていた。チューブからそのまま出したみたいなオレンジの夕空だった。本当は私だってこんな非生産的な事はしたくないんだけど、それしか出来ないんだからしょうがない。血の臭いがする。多分私の血だと思う。痛みなんてのはとうに過ぎ去って、今はただ体温が下がっていくのを感じるだけ。
思考は妙に冷静で、理性的だった。あれかな、心は理性というから、生きる機能はもう壊れて必要ない理性だけが残ったのかな。
今更ではあるけど、こうなるのも仕方ないと思った。私は屋上から突き飛ばされたのだ。私に嫌がらせを沢山した、あの子に。可哀想に、取っ組み合いに勝ってしまったが故に彼女はその後の人生を棒に振る羽目になってしまった。
まあ、でも、これでこんな人生におさらばできる。お世辞にも私の生きてきた道は恵まれてるとは言えなかった。むしろ酷いものだった。だから安心だ。惜しむものなど何もない。
そうして私はゆっくり目を閉じた。

瞼の裏に浮かんだのは死んだ魚の目だった。
違う、それは人間の目だ。
鉄の臭いが鼻を刺激する。まだ幼かった私はそれの下でがたがたと震えていた。
その人は仰向けに倒れたせいで、血が床に広がっていた。それをしたのは私だった。首を絞められながらなんとかその人が捨てたナイフを掴み、思いっきり腹に突き立てたのだ。一回じゃ無かった。
どうやってその空間から抜け出したのかはよく覚えてない。
覚えてるのは、ただ、死体と床の冷たさと、べたべたする血の感触と、乾いていくそれの目玉だけだった。

目を開けた。
嫌だ、死にたくない。
あれにはなりたくない。生きていたくはないが、死ぬのはもっと嫌だ。
お願いします、神様でも悪魔でも何でもいいから、私を助けて。生かして。死なせないで。
ぐりんと回った目玉が私を見る。見つめる。私が殺したそれが見続ける。

助けて。




「暁が、家から帰ってこないそうだ。」
静まり返った教室で、先生はいかにも厳かそうにそう言った。クラスメイトも、その雰囲気を敏感に感じ取って黙っていた。
重苦しく張り詰めた空気に、あたしは冷や汗を掻いていた。心臓はバクバクと脈打ち、頭の中は「どうしよう」という文字だけが回っていた。
帰ってこないのは当たり前だ、死んだんだから。
暁へのいじめの主犯はあたしだった。
暁を殺したのもあたしだった。
それは所謂いじめを苦にして自殺とか、そんなんじゃなく、ただ単純にあたしが屋上から彼女を突き落としたのだった。
あたしだってそこまでするつもりは無かった!屋上に呼び出したのは確かにあたしだよ、でも素直に来ると思う訳ないじゃん。あの暁だよ。そう、あの暁だ。
暁は偉そうで、いや実際頭は良いんだけど、あたし達をいつも見下してた。だからあいつの悪口を友達と喋るのは楽しかった。全部わかったフリをしてる、とか根暗でキモい、とか。暁は性格が悪くて無駄に攻撃的だから、皆も割と散々に言ってた。
しくったのはそれがエスカレートしちゃった事かな。仲間達とだけ共有していたあたし達の鋭いナイフみたいな部分は、やがて本人に向かっていった。とは言っても大した事ないんだよ。上靴に画鋲を入れるなんてプロトタイプな事はしないし、それ以上なんてする気も無かった。
やったのは精々あいつの前でわざと悪口を言うってくらい。そりゃあ、そういう事をしてるって自覚はあったけど、暁は強いやつだから。その位でへこたれる訳無かったし、むしろ物理的な被害を受けたのはあたし達だった。
いつも通りに皆で盛り上がって、ゲラゲラ笑ってたらいきなり水を掛けて来たんだ。ご丁寧な事に、トイレの水道を使って汲んできたらしい。その日から、クラスの暁への風当たりは更に厳しくなったけど、あいつはどこ吹く風だった。
先生もアレがクラスの団結にでも使えると思ったのか、単に臆病だったのか、それとも果たして気付いていなかったんだろうか?そうだとしたらかなりの馬鹿だ。ともかく、そんな事件があった後も特に何が起きるわけでもなかった。
で、時たま気が向いたように復讐をされて、その度に孤立を深めていったあいつを笑いながら、あたしは日常を過ごしていた。
そしてつい昨日、机の奥に入れていた折り紙の束を久しぶりに、ほんと久しぶりに発見した。折った後のくしゃくしゃになった折り紙が一番上に置かれていた。
それで、呼ぼうと思ったんだ。人のいない場所に。幸いあたしにはヘアピンでピッキングが出来た。何かと便利なんだよ。
だから屋上に呼び出した。勿論、暁が来るとは思ってなかった。差出人の名前は書いてなかったし、昼休みにメモを机に突っ込んだだけだし、性格的にスルーするだけだろうと思ってた。
でもあいつは来た。それで、何て言ったと思う?第一声は「窓井か」で、その次が「そうだと思った。」だよ。本当に恨めしい程察しが鋭い。でもそこは重要じゃないんだ。
「それで、ここで何かするつもりなんですか。そういうの、うざったいので死んでくれませんか。」だ。
こっちのセリフじゃボケ。
思えば暁はあたしにはやたら風当たりが強かった。例えるなら、他の奴らには邪魔なアリの巣を駆除する様なドライさだけど、あたしに対しては家の中にいるゴキブリを何がなんでも全滅させようとするような苛烈さだった。いやまあ当たり前か。なんたってグループの中心だし。
あたしは当初の目的も忘れて、「それはこっちのセリフ。何ならこっから突き落としてあげようか?」とか言ってた。いやあ怖いね14歳。過激だ。
そしたら暁が上履きをペタペタ鳴らして近付いてきたと思うと、こっちの胸倉を掴んできたんだよ。セーラー服なんだけど、その日はカーディガンを着てたから問題なく掴めたみたい。
あたしは奴が何をしようとしてるのか、本能的に察する事が出来た。全く怖いものだ。だから、暁を思い切り突き飛ばしたんだ。鈍臭いあいつは尻餅をついていた。
当然、死ぬつもりなんて全然なかった。殺すつもりもなかった。だから怖くなって後ずさったんだ。馬鹿だよね。そっちはフェンスも何も無い、端だっていうのに。
暁はあたしにずんずん向かっていった。夜明け前みたいに暗い目に、真っ直ぐあたしを写していた。不思議な事に、殺人をする抵抗というものは全くないみたいだった。
まずい。このままじゃ殺されてしまう。やだよ、だってあたしまだ14だよ?これから色々あるかもしれないじゃん。色々が何かは知らないけど、取り敢えず死ぬのはやだ。これといった理由は無いけど、怖いからやだ。
そうこうしてる内に、暁は目の前に迫っていた。だから、死に物狂いで抵抗した。暁は弱かった。あんまり信じたくないけど、そういう事において彼女はとても弱かった。
だから、うっかりしたことに、取っ組み合いに勝ってしまった。勝って、そして、突き落とした。
どうかしていたとしか思えない。どうかしていただけだって思いたい!
いくら、なんでも、殺意なんてある訳ないじゃん。確かに暁は偉そうで、人を見下してて、性格が悪くて、尖ってたけど、それでも殺すつもりなんてなかった。ちょっとした憎しみだった。それだけだった。あいつを笑っていたのは、それだけの理由なんだよ!
息は荒くて、呼吸困難になりそうだった。心臓なんて早く動きすぎて、いきなりピタッと止まってしまうんじゃないかと思った。
あたしは人殺しになったんだ。

記憶の中の屋上から教室に戻って来ても、あたしの胸は全く同じように、動きすぎなくらいに働いていた。口を手で覆って、荒い息を隠した。必死に隠した。
先生が何か言ってる。けどそのほとんどは、うまく聞き取れなかった。
ふと横を見ると、一緒になって悪口を言っていた友人が心配そうな顔で見ていた。良いやつなんだか悪いやつなんだか分かんないな。
今更後悔したってどうにもならない事は分かってる。確かにあいつが悪いとこもある。動機が無ければあたしだって行動しないのだから。
それでも世間は100%あたしが悪いというだろう。正当防衛だけなら言い訳のしようがあった、でも彼女がそれに至るまでの過程がまずかった。本来ならそれだけでも糾弾されてもおかしくない行動だ。
失敗した。あいつがそんなに弱いやつだとは思わなかった。あたしの知ってる暁は、もっと、
「恵!大丈夫?」
今、すごい肩が上がったと思う。変なヤツだと思われてないだろうか。いやもうそんな事思っても無駄だな。今、あたしはクラスで最も軽蔑すべき人間だ。
いつの間にか朝のホームルームは終わったらしく、友人がわざわざあたしの席まで来て、心配そうに顔を覗き込んでいた。
「あ……う、うん。ごめん、ダイジョブダイジョブ。」
「全然大丈夫じゃないでしょ。顔真っ青だよ。」
「ヤ、大丈夫だって。ホントに。」
「保健室連れてくからね。嫌だって言っても連れてくから。」
「そ、そんなあ」
「いーからいーから」

そういう訳で、今あたしは友人に担がれて保健室に向かっている。実際具合は悪く、いつ吐いてもおかしくない感じだ。
「ねえ恵」
「何?」
「……あんたさ、昔暁と仲良かったよね?」
「は?何それ。全然知らない。」
「まあ、確かに仲良いとはちょっと違うかもしれないけどさ、昔のあんたは暁に憧れてたっつーか」
「あたし面白くない話嫌い」
「は?」
「面白くない話は嫌いなんだって。悪いけど」
「……そっか。ごめん、じゃあこないだ仕入れたこの学校の七不思議の話でもしよっか。」
「それ14不思議くらいあるヤツじゃん……」
「でも面白いっしょ?こないだ聞いたのはねー、黄昏の怪物ってやつなんだけど」
「どっちかというと恐ろしいって言うよりチューニビョー的響きだね」
「まあココ中学校だし。なんかね、午後4時になるとドロドロした液体みたいなのが学校を徘徊するんだって。それは自分の体を探してるらしくてね、寝てる時とか倒れてる時、それに見つかったら体を乗っ取られちゃうんだって!」
「へー」
「興味無さそう」
「ないよ」
「そんな!」




「やったー!俺の体だー!」

少女の声で意識が覚醒した。視覚がある。聴覚がある。触覚がある。妙に寒い。
どうやら私は助かったらしい。神か悪魔か、はたまたただの偶然か知らないが都合の良い事だ。
安堵感が体を支配する。私は、あれと一緒にならずに済んだのだ。
「これからどうしよーかなー!えーと、まずドーナツを食べて、ブランコを漕いで、バイクに乗って、えーとえーとそれから」
私の声で私が出した覚えが無い声がする。確かに自分の体の筈なのに、まるで他人の中に乗り移ったかのような感覚に奇妙な違和感があった。
あ、はじめまして。突然だけどこの体借りますね。死んだら返します。
こいつ直接脳内に。なにこれ。
まあまあ細かい事は良いじゃないですか。五感持ってみるの憧れだったんですよー。まああなた俺がいなかったら死んでましたし別に良いですよね。
良くありません。今すぐ返してください。
やですー。早い者勝ちですぅー。
じゃあ私の方が早かったでしょう。
屁にケツって言うんですよそーいうの!良くない!
屁理屈です。良くないのは貴方の存在では。
人格どころか存在まで否定された!ショック極まりないです、慰めて!

超展開についていけない。いつの間に俺とお前がオーバーレイしたのだろうか。というか本当に誰だよこいつ。
ああっ、何か臭いと思ったら血がべっとりじゃないですかー!なんてこった!これじゃあ寒いしキモいし臭いし三重苦ですよ、もっとまともに気絶してくださいよ!
いや知らんわ。ほんとに知らんわ。というか何で動けてるの。確か屋上から落下したはず、それも頭から。本来ならドログチャな状態になっていてもおかしくない筈なのだ。
それはねー、俺の不思議パゥワーですよ!あなたの体を乗っ取ったのも、死んでないのも、全部俺のおかげです!えっへん、もっと感謝しろ。
誰がするか今すぐ返せ。私の意思で体を動かせないなら、そんなの死んでるも同じじゃないですか。馬鹿なんですか。馬鹿なんですね。
あっバカって言った!バカって言う方がバカなんですよ!やーいバーカカーバぶたのけつー
救われない馬鹿に生きてる価値はありません。という訳で今すぐ死んで。意思ごと死んで。というか意思が死んで。
ぴっぴろぴー、聞こえないですねー全然聞こえないです耳が取れてるんじゃないでしょうか?ダメですよちゃんと管理しないと。
…………。




保健室に行くと、先生は至極適当そうに、しかし実に適当な処置をしてくれた。というのは「お前顔色やべーからさっさと家に帰れ。」との事である。結局、あたしは折角登校してきたのに一時間も授業を受けないで帰る事になった。気分が悪くなりに来ただけである。何それ。
ただ、それは凄くありがたかった。あの空間にいても教師の言葉など耳に入らないだろうし、うっかりしていたら吐いていたかもしれない。そうなったら末代までの恥である。いやもう失うものなんて無さそうだけど。
親は夜まで仕事。この時程バス通学であることに感謝した日は無かった。まだ通勤中の人もいる中で、運の良い事に席が一つ空いてた。病人なのだから、と遠慮なく座り、スマートフォンを取り出してイヤホンを刺す。違法ダウンロードしたお気に入りの曲を流し、窓の外を眺めた。
家に帰るには終点まで乗らなければならない。その後は更に地下鉄だ。その事を考えると、気が沈んだ。
振り払う様に音楽に集中する。今流行りの電子の歌姫だ。中にはこういうのを見下す奴もいるが、あたしはこれが好きだ。
そういえば、暁はボーカロイドといった類のものは嫌いな気がする。多分、誰も知らないようなインストを静かに聞いたり、そんな感じ。

「暁さんは音楽ってどんなの聞くの?」
放課後。窓から傾いた陽の光が入る図書室に、彼女はいた。
凡人が学校でやったらネクラである事を自己紹介しているに過ぎない行為、一人で読書。でも暁さんがやると妙に絵になってて、綺麗だった。
暁さんは怪訝な顔をしてあたしを少し見た後、無視してまた本に視線を落とした。沈黙。少しだけ苦痛ではあったけど、予測していたからなんの事は無かった。
そのままじっと彼女を見ていると、眉を顰めて夜明け色の瞳であたしを睨み付けた。
「何ですか。私に何か用事でも。」
「ううん、興味があっただけ。」
我ながら動じずに返せたと思う。特別な人に釣り合うには特別でなければならない。そういうフリをするのはきついけど、それ以上の快楽があたしを動かしていた。
「ならそこをどいてくれませんか。人に観察されるのは不快です。」
「嫌だ、って言ったら?」
そしたら、彼女は無言でその場を去った。読みかけの本は借りもせずに本棚に戻して。
あたしの体温しかなくなったその小さな空間。溜息を吐いて席を立つのにそう時間はかからなかった。
去り際に、ふと彼女が読んでいた本をぱらぱらとめくってみた。
『「男の子ぶってると、きゃあきゃあ言ってもらえるから。」小さな告白であった。なんでもない告白は雨の音と共に流され、彼女はまた少年の様に微笑んだ。』
あたしに、読書という趣味は無かった。

ぱちん、と泡が弾けるように唐突に覚醒する。どうやら居眠りをしていていたらしい。流れる景色の速度は変わっていない。
前を見るとまだ終点まで時間があった。ほっと一息吐く。って言っても、降りなかったら運転手さんが起こしてくれるだろうけど。
それにしても懐かしい夢を見た。と、同時に自分が何を考えてるかに改めて気付かされ、辟易する。
暁は、美人だった。
目鼻立ちだけじゃない、それは勿論だけど、本人の気質をそのまま表したみたいな、氷みたいな冷たさと鋭さが彼女にはあった。
それは人に触れられないけど、同時に人を虜にする美しさだった。
あたしはそれに触れたかった。触れて、あたしも氷になって、そして、氷になったあたしを誇示するのだ。所詮それだけ。
全てを14歳だからって言い訳すれば許してもらえるかな。なんつって。




いやあ、上手くやりましたね俺!あなた窓の鍵閉めないタイプだったんですか。駄目ですよそんなんじゃ、ドロボーに入られちゃいますよ!
開いてたのは一階のリビングで私の部屋じゃありません。
どちらにしろ無用心です!今まで善意であなたの家は守られていたようなものですよ!
そうですね。
ムッ、冷たい。なんかテキトーに反論してくださいよ、つまんなーい。
私は私の思う事を言ってるだけで、別に全てを否定したい訳ではないので。ほら、着替えるならさっさと着替えたらどうです。面倒な事になるから跡は残さない方が良いですよ。
はーい。……うーん、これは似合わない、これもダメ。
何やってるんですか。ただ血まみれの服から着替えるだけでしょう。早くしなさいよ。
えー、折角ですし似合う服を着たいじゃないですか。
知りません。見つかったらどうするんですか。
まあこのワンピースが一番マシかな。真っ黒だけど。いそいそ。ついでに部屋の中も物色しちゃいましょう。
あなたモラルというものを知らないんですか。その軽率な行動は軽蔑に値します。
意思を持ってからはゼロ歳児なもので。あっちなみにこれにはやんごとなき理由があるんですよ!なんか使えるもの無いかなーという。これからしばらくサバイバル生活ですからね。
思うのですが、そのまま私の立場を乗っ取ればいいのではないでしょうか。
ヤですよ!学校って嫌な所なんでしょう?
人によります。だから、或いはあなたにとっては楽しい場所かも知れませんよ。
えー、でもあなたの記憶じゃあとんでもないところじゃないですか。それに体はあなたのなんだから、立場は同じですよね。俺はごめんですよ。
我侭言うんじゃありません。
ぺっぺっ!俺はアホみたいな常識に縛られるのはごめんですよ。あれ、なんですかこれ。果物ナイフ?物騒な。
自衛用です。あなたみたいな泥棒が現れた時用の。
あー……あー。成程。でも、正直なところ二回目は無いと思いますよ?
あなた何を知ってるんですか。
いやあ、不可抗力なんですけどね……今の俺は暁トワなんだから記憶を共有してるんですよ。
悪趣味。
だから仕方ないんですって!ところでこの果物ナイフ……んー、いいや、いらない。置いてこ。




夕陽の差し込む図書室。過去の情景。
幾度目かの密会。それは彼女が席を立つ事で終わる。大抵は、彼女があたしにうんざりして。
あたしが喋るとこの密会は数分で終わってしまう。だから、あたしは言葉を発さない事でこの時間を長引かせていた。
彼女に「誰にも靡かない孤高」としての憧れを抱いているのに、友情を求めているのは当時のあたしでも馬鹿みたいだと思っていた。でも仕方ない、馬鹿だから。
本を読む彼女の前で、いつもいつも、ただ無言で折り紙を折っていた。一枚の折り紙で何かを作っては、広げて別のものを作る。
何度も何度も折ってるもんだから、あちこちに折り目が出来て、不細工極まりなかった。ちょっと不毛が過ぎる行為だと思う。

「何をやってるんですか。馬鹿じゃないですか。」

彼女から話しかけてきたのはそれが初めてだった。びっくりして顔を上げると、眉を寄せて不可解だ、と文字を書いたような表情があった。あるいは、気持ち悪い、だったのかもしれない。
それでも、ちょっと舞い上がってしまったのだ。散々腹を空かせて、ようやく餌を与えて貰った犬みたいだった。そんな心境でも、あたしは彼女と釣り合うべくの演技を忘れなかった。
「見て分かんない?折り紙。」
「普通は一枚で一つの作品を作るものだと思いますが。……紙が無いんですか?」
「ヤ、そんな事は無いけど……なんとなくね。」
じと、と絡み付くような視線で彼女があたしを見る。はあ、と溜息を吐いた後、
「私にも一枚、紙をくれますか?」

不可解だった。
本に栞を挟んで折り紙を折ってる彼女が。
鶴を折った後、折り紙を広げて、今度は花を作って、また広げて鶴を折る彼女が。
「私、折り紙って鶴と花しか出来ないんですよね。」
「……ふーん」
「……」
「…………」
彼女が何かを期待してるって事くらい、あたしにも分かった。
けど分からない。何故急に、そんな事を申し出てきたのか。あたしは、彼女に恩を売った覚えも友情を深めた覚えもなかった。
「……ええと、箱っていうのがあるんだけど。簡単だから、すぐ出来ると思うよ。」
そう言って、また折り紙を一枚の紙に戻し、三角に折る。散々折り目がついてるから、折る為に指で押し潰す必要もなかった。
彼女も私に倣って三角に折る。それを確認すると、そこからまた三角に折る。そして彼女の動きを確認して、折り進める。何回かそれを繰り返して、箱が出来上がった。
「分かってはいたけど、不細工な箱ですね。くしゃくしゃで、すぐに潰れそう。」
「そりゃあ、もう相当折り目がついてるし……」
「折り目のついた折り紙は、もう綺麗な作品にはならないんですよね。」
「まあ……仕方ないよ。そういうもんだから。」
「……」
彼女が目を伏せると、その長い睫毛で目元に影が落ちる。その姿を綺麗だと思う事は出来るけど、それ以上に、寂しそうだって、感じてしまったのだ。
「ま、まあでも。どんなに折り目の付いたやつでもさ、こうしてちゃんとしたものになれるんだし。これだって、飴とかちっちゃいものなら十分入れれると思うよ。ていうか普通の使って折ってもその程度にしか使えないし。それにさ、この折り目は、ええと、勲章だよ。色んなものになってきたっていう証だよ。そう、この折り紙は普通のとは一味違う、沢山の経験をしたレア折り紙なんだよ。」
夕陽の逆光の後ろで、あたしの早口を聞いた彼女は少々間抜けに口を開けていた。
そして、その後、くす、と笑って、
「馬鹿ですね。」
と言った。




思うに、あんたは寂しかったんですよ。
は?
だってそれ以外にどうやって説明するんです。ただ傍にいてくれただけで好きになりかけたなんて、今日びメンがヘラヘラな人でもそうはならないですよ。
何の事か理解しかねます。不愉快だから今すぐその口を閉じて。
強盗に親を殺されて、折角引き取ってくれた叔父叔母には全く懐こうとしないで、もう今更やり直す事が出来ないって時にようやく寂しいって気付いたんですもんね。なんで素直になろうとしなかったんですか?
馬鹿じゃないですか。私は一度たりともそんな事思った事ありません。
もういい加減ナイフを振りかざすのはやめにしたらどうですか。それ以上は自分を傷付けるだけです。違う、そのナイフで他人を傷付けた報復で、他人のナイフで傷を負うんです。叔父さん達に懐かなかったのだって、自分の柔らかい部分を晒して、また傷付くのが怖かっただけだ。それなのにあんたは怖くてナイフを捨てられない。
あなた何なんですか。私の妄想ですか?自責の念が人格化したんですか?だとしたら私は何がなんでもあんたを殺さなきゃならない。
ナイフを振りかざして、暴れ回って、それでも近付いてきてくれた人にようやく一瞬やわいところを見せて、それでもあんたは怖くなってまたナイフを突き立てた!そしたら今度は彼女までナイフを使って刺してきた。当たり前だ!ナイフを刺されたくなかったらそんなもの捨てるべきだったんだ!
あんなの見せたくて見せた訳じゃない、そうだとしたらあいつを油断させて殺す為だけだわ。このナイフを捨ててどうなるっていうの、私はナイフに手を伸ばさなかったら生き延びれなかった、そうでしょう?
あれはもう終わったんですよ!確かにあの時は殺さなきゃ生き残れなかった、でもその後は違うはずです!あんたは確かに残酷な境遇にいますよ、だけどね、それでも今度は違うものに手を伸ばす事だって出来たはずです!ナイフを持ったまま延々一人ぼっちだって泣いてるあんたは、世界のどんな奴よりも、馬鹿なんですよ!
黙ってよ!じゃあどうすればよかったって言うの!人殺しは人を殺す前には戻れないのよ!まして、あの人は、お母さんのために、
ああそうですよ!一度ついた折り目は二度と元に戻りませんよ!だからっていつまで捻くれてるつもりなんですか!あれから8年ですよ!?8年間あんたの時は止まったままだ、いつまで経っても、死体だらけの部屋で助けが来るのを待ってる6歳の子供だ!がたがた震えて、死にたくない死にたくないって、それでもナイフを放さなかった怯える子供!
うるさいうるさいうるさい!死んでよ、消えてよ、そんな事聞きたくない!何が悪かったって言うの、私が悪かったの?お母さんとお父さんが悪かったの?あの人が悪かったの?全部違うじゃない!私やお父さんとお母さんが悪い訳ないし、あの人だって死に掛けのお母さんのためにお金が必要だった!もみ合ってる内にナイフでお父さんを刺して、取り返しが付かなくなった、それだけなのに、全部ぜんぶ悪い方向に傾いちゃう!誰もナイフなんて手に取りたくなかったのに、ナイフを持ってないと誰かに刺されて、死んじゃう世界なのよ、ここは!
それがそもそも間違いだっつってるんですよ!世界を少しでもいい方向に傾けたいなら、それでも昨日を墓に埋めて、笑って明日を見るべきだった!それが全然出来なかったからさみしさだけが深まって得る筈だった友情も失って、結果的にあんたは死ぬことになった!
じゃああのまま死なせておいてよ!なんで私生きてるのよ、ふざけないでよ、こんなどうしようもない世の中にこれ以上いたくない、殺してよ!
死にたくないって願ったのはあんたじゃないか!どうあっても死にたくないって願ったのは、紛れもなくあんたなんだよ!だから俺はここにいるんだ、あんたの意志を利用して、その意思という魔法だけで俺はあんたを動かしてる、それが黄昏の怪物だ!
じゃあもう要らない、死体がどんなにどんなに醜くくたって、それ以上に醜いこんな世界要らない!生きたくない、死にたい、死にたい、死にたい!私を、今すぐ――

「あかつき、さん?」




なんとなく、家に帰る気はしなかった。いや、帰れる気がしなかったという方が正しいだろう。いかんせん、人殺しの身だ。親には、ショック過ぎてふらついてたとでも言えば許してもらえるだろうか。流石に両親はあたしがいじめの主犯だという事を知らない。

あの折り紙の日から、暁は以前よりもあたしを厭うようになっていった。それが何故かはわからない。
あの日が無ければあたしだって耐えられただろう。でも、一度飴の味を覚えてしまったからには、もうそれなしでは我慢できなくなっていた。些細な不満はいつしか攻撃的なナイフへと形を変え、彼女にその刃を向けるようになっていった。
そう、きっと、暁はあたしの憧れなんかじゃなくて、ちょっと事情を抱えた、一人の14歳だったんだ。何かしらの鋭い一つの概念で纏められた憧れではなく、酸いも甘いも抱えた、箱のようにたくさんの面がある人間。あんな風に笑う事もできる子。理解するのが遅すぎたけど、そうでしかないんだ、きっと。
ねえ暁、あたし達、もう少しだけ何かが違えばちゃんと友達になれたかな。帰りにマックに寄って勉強をしたり、スマホでツムツムとかやってさ、それでランキングを競い合ったり。いや、暁はそんな事しないかな。でも案外楽しいんだよ。スマホを持ってたら教えてやろう。そして、あたしは暁からオススメの本を教えて貰うのだ。大丈夫、いくら本読んだ事ないって言っても昔恋空を読んでべろべろに泣いちゃったんだから、感性が腐ってるって事も無い筈だ。だから読みやすい本を教えて貰おう。児童文学……はちょっとアレだけど、そっから始めろ、馬鹿、とか言われたら、ちょっと不満に思いつつ読んでやってもいい。
始めは勘違いだっていいんだ。そっからちょっとづつ理解して、それを受け入れられれば、あたし達、きっといい友達になれる。
そんな事を考えていると、まるで隣に暁がいるように思えた。そう、今は下校時刻。帰り道。本当はふらふらしてる内になんとなくそんな時間になってしまったんだけど、その世界のあたしはちゃんと授業を受けて、それで今ようやく帰ってるのだ。
「はー、部活が無いって楽でいいわ。佐々木とかの話聞いてるとほんと思うよ。」
「そうですね。特に運動系と吹奏楽部は目標がありますし。」
「そーいや、暁は文芸部とか入んなかったんだ?」
「読み専門ですから。」
「まーたあ。そういう奴って案外ポエム満載の小説とか書いちゃってるんだぜ。あたしは詳しいんだ。」
「馬鹿なんじゃないですか。ところで、今日はどうします。マクドナルド?」
「えー、今日はハンバーガーの気分じゃないなあ。ミスド行こうよ。」
「あなた、ミスド行くと滅茶苦茶に注文した上に食べきれない分を私に押し付けてくるから嫌です。」
「じゃ、じゃあ今日は丁度いい量にするから!」
あたしが必死めいてそう乞うと、彼女はくすりと笑って、こういうのだ。

「馬鹿ですね。」
と。

勿論そんなのはあたしのゲロカス妄想でしかないのだけど、もしかしたらあったかもしれない未来を妄想するくらい、いいと思うんだ。
は?馬鹿じゃないの。いいわけないでしょ。暁を殺したのはあたしなんだぞ?
ははは、そうだった。うんうん、そうだ。あいつをナイフで思いっきりぶっ刺したのは、あたしだった。ははは。ははは。

馬鹿だなあ。

この世に救いなんてない。もしかしたらあったのかもしれないけど、あたしはその全てをふいにした。起こらなかったかもしれない悲劇を、わざわざ自分の手で引き起こした。
世界は巨大な自動計算器だ。何かを起こすと、その結果を正確にはじき出す。そして、結果からまた何かが起きて、そこからまた結果が出る。その繰り返しだ。
だから世界は暖かくもなんともない。冷たくもない。ただただ、回ってるだけ。正確に、一片の狂いもなく、ひたすらにぐるぐる回る。
幸福も不幸も、伏線がきちんと張られていて、すべては予測できる結果の内なのだ。

だから、
これにも、もしかしたらそういう伏線があったんだろうか

ねえ暁さん
あたし達、もう一度、やり直せるかな?




「あかつき、さん?」

一度ついた折り目は戻らない。
私が両親を失った事も、
人を殺した事も、
それによって深く傷ついた事も、
やり直す機会を沢山投げ捨てた事も、
その結果死んだことも、
ぜんぶぜんぶ戻りはしない。

けれど、そこからまた、新しいものを作る事だって出来る。何の因果か知らないが、私達は今、ここでこうして、二人向かい合って立てている。

ねえトワ。俺思うんです。やっぱり死んじゃだめだって。
どんなに辛くても悲しくても、もしかしたらの希望に縋り続けて良いと思うんです。ううん、そうしなくちゃ、俺達二度と幸せになれっこない。
奇跡を願って裏切られるたびにあんたは深く傷付くけど、傷だらけでもナイフは捨てなくちゃなんない。もしかしたらそのせいでまた一つ傷が付くかもしれないけど、ナイフを持ったままじゃ誰にも抱きしめて貰えないじゃないですか。
ねえ、これは俺が甘ちゃんなんでしょうか?まだ何にも知らなくて、傷付いた事なんてなくて、その痛さを知らないからなんでしょうか?
でも俺は何にも知らないから知ってるんですよ!自分の手と相手の手さえあれば、握手は出来るんです!へへへー知らなかったでしょー知ってる俺はすごい!えっへん!




「暁、なの?」
「……」
「ねえ、答えてよ。あんたは暁なの?」
「……そうですよ。」
「……死んでなかったの?」
「死にましたよ」
「…………」
「死んだけど生き返りました」
「…………」
「…………」
「あの、さ」
「ねえ窓井さん」
「え」
「…………やっぱり、折り目は元には戻らないんですよ。それでまた新しいものを作ったとしても、不細工なものにしかならない。」
「え、あ、うん」
「……あなたが言った事をもとにしてるんですよ。」
「いや、ええと、知ってるけど」
「そんな折り紙、破っちゃった方が良いと思うんです。」
「……そうなの?」
「そうなんです。だってどうしようもないでしょう。そんなんなら、早く捨てて新しい折り紙で何か作った方がマシです。」
「……そう、なんだ。」
「そう思いますか?」
「は?」
「本当にそう、思いますか?」

からん、とナイフの落ちる音がした。

陽が暮れる。青はやがてオレンジへと変わり、それもやがて濃紺に染まっていく。
昼は死ぬ。死んで夜という海に沈み、そして、夜明けに生まれ変わる。真白い陽光を引き連れた暁と共に、生まれ変わる。

「……あたしは」
「あたしはそんなのさみしいって思う」
「どんなに不細工でも、くしゃくしゃでも、きっとそれは証だから、それで何かを作った方が、暖かいって思うの。」
「だから――」

少女が泣きそうな顔で言う。それを見た真っ黒なワンピースを来た彼女は、微笑む。

「またね。」

少女が数回瞬くと、そこに彼女はいなかった。まるで暮れる日と共に、どこかへ行ってしまったようだった。
それでも、彼女が言ってくれた言葉を少女は覚えてる。

それもまた、消えない折り目にして。




「ほんっとにやってくれたなお前は……」
職員室で、あたしは担任直々にお説教を受けていた。どうやらとんでもなく勘の鈍い教師らしく、誰かの告げ口でようやくクラス内の問題に気付いたらしかった。馬鹿なのではなかろうか。
まあ、でも、あたしには縮こまる事しか出来ない訳で。
「はー……お前も一応教え子だしな。そりゃあ暁の味方はするけど、だからってお前がひでえ目に遭っていいって話にもなんねえし。いやしかし、やってくれたもんだ。」
あんたがもうちょっとニブチンじゃなけりゃこんな事も起きなかったんじゃないか。というか彼女の死体まだ挙がってないっていうのに、死んでるって決めつけるのは早計なんじゃないか。
「まあ、取り敢えずお前は暁さん家に行って全力で謝ってこい。菓子折りを持って、土下座するんだ。それでも消えないからな。そういう事だ。」
「もう行きました」
「マジかよ。ちゃんと親連れて行ったか?」
「連れてなかったらこのほっぺの絆創膏はどう説明するんですか。」
「まあ目も赤いしなあ。」

彼女の家に行って、土下座をしても、ただ困惑した目で見られるだけだった。あまつさえ、居間に挙げられて、お茶まで貰ってしまった。そこで、彼らはこう言った。
『私達がもう少し彼女に触れようとしていれば、こんな事も起きなかったのかもしれません。』
『彼女は一人ぼっちを拗らせていただけなのに、きちんと向き合わず、最後には完全に諦めて疎んでしまった私達にも、責任はあるのでしょう。』
そう、言った。

「学校側は大きい問題にさせたくないみたいだ。まあ誠実な対応をして、なるべく火は燃え上がらないようにしてやるさ。」
「はあ。」
「良かったな、あんまりドラマチックな問題じゃなくて。と・いうか、あいつが反撃したせいであんまり世間が求めてるものにならないというか。」
「……」
「……お前の進路は狭められるぞ。」
「はい。」
「前科一犯だからな。」
「はい。」
「お前、やたらに手先が器用だったな。折り紙とか滅茶苦茶うまいし。」
「まあ……」
「認めるんか ……まあ、そんくらい図太くなきゃいじめの主犯なんてやってらんないよなあ。」
逆だ。
繊細だったからこそ、ナイフを持つという選択をしたのだ。
「美術の成績が良くてよかったな。多分滅茶苦茶苦労する道だろうけど、完全に無いって訳じゃなさそうだ。」
「諦められてますか?」
「当然だろ。ま、精々頑張るこったな。」
「はあ……」
溜息とも返事ともつかない言葉で濁した。ほんと、どうなってしまうんだろうか、あたしの将来。
中学生で前科一犯、それも名誉棄損(実態は殺人)って。トホホ。

職員室から出て教室へと戻ったあたしを待っていたのは、クラス中の軽蔑の視線と、数少なくなってしまった友人の心配そうな目だった。全く良い奴らというか馬鹿というか。
もしかしたら机に死ねとか彫られてるかもしれないな、と思ったけどそんな事は無かった。まあいじめっこと同じ格に落ちる程の馬鹿はいなかった、って事だろう。

「恵ぅ……だ、大丈夫……ホントに……」
「ハ、ハハハ……お先真っ暗……」
「ヒエエ……」
「高校進学できないかも……」
「ヒエエエエ……」

どこからか、そんな位で済むなら安いモンだ、とかいう声が聞こえる。いや全くその通りだけど傷付くからやめてもらいたい。

「なんでこんな事になっちゃったんだろうな……」
「まあ、そういう事もあるよ」
「当人なのにあっさりしてるな……私の方が心配してるくらいだよ」
「良い奴だ」
「良い奴な訳あるもんか 本当にそうだったら最初で止めてるべきだったんだ。」
「そうだね、でも、ある面においてはすごい良い奴だよ」
「いや言わないでよそんな事…本当に…」
「でも、ある面においては凄く悪い奴だ」
「そっちの方が安心する」
「しちゃ駄目でしょ」
「そうなんだけど」

そうして、あたしはこれからも生きていく。消えない折り目を抱えて、きっとこれからも何回も付けながら。
時にはナイフを手に取らなきゃいけない時も来るだろう。そして傷付けて、また傷付けられるのだ。
でもそこで仕方ないってナイフを捨てられたら、もうそれ以上傷付かずに済む。と思いたい。

少なくとも、それを信じてくれる人とは、手を取り合っていけるって思うんだ。




で、あなた一体何者だったんですか。
朝井リョウ?
いや違いますけど。やめてくれます唐突にそういう事言うの。何も面白くないですから。
傷付きました!ひどい!
いやこの位は許してくださいよ……
人によって許容範囲が違うんですよ!
はいはい。それはいいから、さっさと質問に答えてくれます。
俺はねー、人が羨ましかったんですよ。
はあ?
まあ、ドロドロの溶けた怪物ですから。なんというか、ああいう、キラキラしたものに憧れてたんですよ。
何にもキラキラしてませんけど。
乗っ取る人物を間違えました。でもこれで良かったって思いますよ。
私は全然よくありませんけど。乗っ取られたまんまですけど。
まあまあ、言いたい事は俺が代弁するから良いじゃないですか。
まあそうですね。
良いんですか!?良くないって言ってくださいよ!
ええ……
そんなクソみたいな生への執着しか持ってないから死ぬんですよ!
あなたは一体私に何て言って欲しいんですか。
決まってるじゃないですか。生きたいって言って欲しいんですよ。
いつも言ってますけど。
そうじゃなくてぇ〜……もっとこう、キラキラしてピカリーンビシャーみたいな。
全然分かりません。というかあなたは本当にファンタジー的存在なんですか。
さあ。トワの二重人格かもしれません。
ええー……
誤魔化すなって?猫箱猫箱!お前がそう思うんならそうなんだよお前の中ではな!
都合が良い……
まあファンタジー的存在なんですけど。どうします、これから世界の裏側見に行っちゃいます?ファンタジーに浸かっちゃいます?
……そうですね、どうせ暇ですし。
じゃあ決定です!いつかあの子にまた会うまで、いろんなものを見ましょう!そして土産話にでもしましょう!
ええ、そうですね。




「ドロドロが逃げてから早ウン年が経ちました。」
「あの時姉さんが発狂しなければなあ。」
「純血種の癖に私の攻撃を避けながら捕まえられないあなたが悪いです。」
「酷い。」

と、いう訳でここが俺の生まれ故郷ですよ!
わあ。いかにも幽霊屋敷。
幽霊じゃなくて吸血鬼屋敷ですよ。
よのなかにはいろんなことがいっぱいあるなあ。
でしょ。だからあのまま自分の殻に引き篭もったままなんてつまらないです。書を捨てよ、町に出よう!そして、人に触れて、色んな世界に触れて、そして、ようやく始まるんです!
そうなんですか?
そうなんです!
そうですね……
うん、行きましょう!こんにちはー!
こんにちは、初めまして。

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